2020423(木)

本田由紀教授 おすすめの一冊です!

 世の中は新型コロナウイルス感染拡大でひどいことになっています。一日も早い終息を念じています。

 今回は、終息後の世の中のあり方を構想するために、本田教授の作品を読みポイントをまとめてみました。現在の日本の閉塞状況の原因の一つには、教育の中またその出口に歴史的、社会的に構築された構造が存在するということが本田教授の論考を読むことで手に取るように理解できました。また、教育の問題は働きの領域とつなげて検討していかなければならないということも今回改めて学ぶことができました。

本田由紀『教育は何を評価してきたのか』岩波新書2020年

・近年の日本の経済的な停滞と社会的な遅れは、誰の目からも否定できない。その原因もまた数々指摘されているが、そのリストに、「どんな人」が望ましいかをめぐる、この国の独特な言葉とその用法という側面を付け加えておく必要があると考える。本書が具体的なターゲットとして据えるのは、「能力」および「資質」「態度」という三つの言葉である。

・垂直的序列(相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格づけを意味しており、しかもより近年にいたってその「能力」基準の内容が複雑化している。)
垂直的序列の2つの軸
Ⅰ 日本的メリトクラシー(従来から存在する基準は主に知的で汎用的な学校的「能力」としての学力)
①生得的な要素と後天的に獲得された要素を区別しないこと、②個人に内在する性質を意味していること、③「○○能力」と限定せずに「能力」のみで用いられる場合、人間の全般的かつ総合的な性質を意味するため、一元的な高低を想起させること、という意味作用をもつ。「○○能力」と限定して用いられる場合であっても、「○○」に入れる言葉の抽象性が高ければ(たとえば「コミュニケーション」や「問題解決」など)、同様に全般的で総合的な高低という意味を伴う。それゆえ、こうした「能力」という言葉を含む「能力主義」も、生得・後天の両面をもつ個人内在的な性質に関する上下の差異化を意味するものとして用いられてきたが、そのこと自体が垂直的序列化を促進・正当化してきた。
Ⅱ ハイパー・メリトクラシー(新たに重要性を増してきている基準)
知的な「学力」以外の、「生きる力」や「人間力」といった主体性・意欲・個性等々の情動的・包括的な能力による垂直軸による評価や選抜。

・水平的画一化(特定のふるまい方や考え方を全体に要請する圧力を意味している。これは具体的には、顕在的・潜在的な「教化」の形をとる。)水平的画一化と不可分の言葉は、「態度」および「資質」である。今世紀に入って学校現場の全体を巻き込む形で制度化された「教化」を、「ハイパー教化」と本書の中では呼んでいる。
ハイパー教化
「道徳」も、<厳格化>・<感情化>する指導も、児童生徒に対して、特定の均質なふるまいと「心」のあり方を求めるものである。そこからはみ出すことは許されず、仮にはみ出せば攻撃や排除や否定の対象とされる。求められる方向に同調するか、さもなくばネガティブな扱いに甘んじよ、という装置と空気が、授業でも、授業以外の学校生活や行事でも、学校現場に蔓延している。このように学校の全域に及びつつある水平的画一化。

・これらの垂直的序列と水平的画一化の支配のもとで、過少になっているのが水平的多様化である。水平的多様化とは、一元的な上下(垂直的序列)とも均質性(水平的画一化)とも異なり、互いに質的に異なる様々な存在が、顕著な優劣なく並存している状態を意味している。その中核にある原理は、異質であることの価値を認め、排除を可能な限り抑制することにある。
・日本社会が直面している重大な課題は①少子高齢化と人口減少、②経済と技術の低迷、③格差と貧困、④社会保障の不備と財政赤字、⑤女性の社会進出の不振、⑥マイノリティ(外国につながりをもつ人々、生活保護受給者など困窮者、障害者、LGBTなど)への差別の強さ。
・これらの課題に対処するためには、属性や状況を問わずあらゆる人々が存在を尊重され、基礎的な生活を保障されるとともに、それぞれのアイデアや得意なことを存分に伸ばしたり発揮したりすることができ、適正な報酬を得て、社会全体の基盤整備と再配分や福祉のための公的財源に寄与するような社会状況を、従来の固定観念や差別的な意識を超えて作り出していくことが不可欠である。このような社会の在り方を実現していくために重要なのは、様々に異質な他者を尊重し、新しい発想や挑戦を受け入れ称賛するような柔軟性である。


ここからはブログ主宰者の感想です。大学で私が習った影山喜一先生は『企業社会と人間』(日本経済新聞社1976年)のなかで、大学から企業への学生の移行過程に生じる問題を指摘していました。長いけど引用します。

六~九月、職さがしに4年生が忙殺されるのを、教師は歯ぎしりしながらじっと耐える。だが内定後も、いくつかの企業は学生にたいして学校のスケジュールにくいこむ作業を強要する。それらの作業がどれほど企業にとって意味のあるものなのか、部外者の眼にはきわめてあやふやにうつる。あわれな学生は、せめて半年くらい勉強してみたいと感じつつ、内定を取りけされないかと四六時中びくついている。結局かれは、大学を捨てて企業をとる。はじめからそうなるしかないとしても、かれの心には癒しがたい傷がのこるだろう。ぼろぼろにすり切れた精神には、「無理がとおり道理がひっこむ」世界にこれからはいるという自嘲の念が色こくやきつく。ひょっとすると、それこそが最初から企業の狙いだったのかもしれない。

現在、学校生活を送っている方々の中で、「もうやってられないよ」と感じておられる先生や生徒諸君が少なからずおられるということは、結構前から私は知っています。1970年代当時よりさらに長期化した、現在の大学生諸君の職さがし期間の状況はよくなっているのでしょうか。メディアで報道されている黒のスーツで就活している若い人々は何を思って感じながらオフィス街を駆け回っているのでしょうか?結局、日本社会はこれまで特に若い人々を教育するためにお金をとりわけ公的に十分に注いでこなかった点も然ることながら、一人ひとりが1回きりの自分の人生を歩んでいくための力をひとりひとりにはぐくんでいくための教育という視点がないがしろにされてきたと言えるかもしれません。もしかしたら、その傾向が最近さらに強まってきているんではないのかという気がすごくしています。それは影山先生の先の引用と本田教授の作品を読んで僕は実感しています。ただ、本田教授が実施した調査の中で「特別の教科 道徳」について問題を感じている教員が6割もおられたということ。また、企業のなかでもようやく、新しい取り組みが少しずつ始まっているように感じられる点もなども本田教授は指摘されております。現在の学校の中でしんどいながらもがんばっておられる先生方。このような先生方が活躍できるには、学校がどうあればよいのか。日本の企業で今後人々はどう働いていけばよいのか。ひとりひとりの若者が自らの人生を前向きに生きていくための力を育むための学校教育はどうあればよいのか。これらの問題を考えるために、本田教授の『教育は何を評価してきたのか』は最適のテキストです。






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