2015年12月23日(水)
今年もありがとうございました
丸山 眞男『忠誠と反逆』筑摩書房 1992年
今年も残りわずかです。来年はどのような年になるのでしょうか。
現在、文字通りの意味で、国際社会での今後の日本のあり方が問われています。諸外国とのゲームのルールをうちたてて、それらをしっかりと国内の制度の中にビルト・インしていくことが落ち着くまで不安定な状態が続くのではないでしょうか。そんな中で、過去のすぐれた先人たちの仕事から学びたいとして考えまして上記の本を読みました。以下は同書の「日本思想史における問答体の系譜」からの記述です。同章では中江兆民『三醉人経綸問答』を検討しています。兆民の『三醉人経綸問答』は岩波文庫から出ています。
・「愚民の上に苛政府あり」というのは福沢(福沢諭吉のこと 以下カッコ内ブログ筆者)の著名な命題ですが、兆民(中江兆民のこと)にもまた、それぞれの人民は彼等にふさわしいーその人民の政治的成熟度に応じたー政治と政府をもつ、という醒めた目があります。(同書より)
・ですから南海先生の、最後の、いわば平凡な結論も、ただ、紳士君と豪傑君との両極を排して穏健な立場をとるというのではなく、ほとんどニヒリズムとすれすれの、ある断念を伴った選択ではないか。ニヒリズムといっても、どいつもこいつもインチキだという、すべての政治的立場にたいする十ぱひとからげの否定ではない。そういう十ぱひとからげの否定は、実際は期待過剰、つまり甘ったれの裏側にすぎません。兆民のは、幕末維新の大変動をくぐり、骨肉相喰む凄惨な光景や離合集散の人心のはかなさを感受性のつよい青年期にまのあたり見て来た人の眼です。(同書より)
今年5月以来、当ブログを読んでいただきましてどうもありがとうございました。来年が皆様方にとりましてよいお年になることを念じております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年も残りわずかです。来年はどのような年になるのでしょうか。
現在、文字通りの意味で、国際社会での今後の日本のあり方が問われています。諸外国とのゲームのルールをうちたてて、それらをしっかりと国内の制度の中にビルト・インしていくことが落ち着くまで不安定な状態が続くのではないでしょうか。そんな中で、過去のすぐれた先人たちの仕事から学びたいとして考えまして上記の本を読みました。以下は同書の「日本思想史における問答体の系譜」からの記述です。同章では中江兆民『三醉人経綸問答』を検討しています。兆民の『三醉人経綸問答』は岩波文庫から出ています。
・「愚民の上に苛政府あり」というのは福沢(福沢諭吉のこと 以下カッコ内ブログ筆者)の著名な命題ですが、兆民(中江兆民のこと)にもまた、それぞれの人民は彼等にふさわしいーその人民の政治的成熟度に応じたー政治と政府をもつ、という醒めた目があります。(同書より)
・ですから南海先生の、最後の、いわば平凡な結論も、ただ、紳士君と豪傑君との両極を排して穏健な立場をとるというのではなく、ほとんどニヒリズムとすれすれの、ある断念を伴った選択ではないか。ニヒリズムといっても、どいつもこいつもインチキだという、すべての政治的立場にたいする十ぱひとからげの否定ではない。そういう十ぱひとからげの否定は、実際は期待過剰、つまり甘ったれの裏側にすぎません。兆民のは、幕末維新の大変動をくぐり、骨肉相喰む凄惨な光景や離合集散の人心のはかなさを感受性のつよい青年期にまのあたり見て来た人の眼です。(同書より)
今年5月以来、当ブログを読んでいただきましてどうもありがとうございました。来年が皆様方にとりましてよいお年になることを念じております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2015年12月5日(土)
速報!
2015年12月1日(火)
いつか来た道
軽部 謙介『検証 バブル失政』岩波書店 2015年
本書はわが国に80年代後半に発生したバブルという経済現象がなぜ生じ崩れたのかという問題を、日銀の金融政策、大蔵省の銀行行政に焦点を当てて、「金融緩和の長期化がバブルの要因」、「米国の圧力」の二つのテーマを中心に検証している。検討されている資料は、情報公開法や独自の経路で入手された公文書、関係者の日記、手記、備忘録などである。また、米国の大統領図書館からも資料は収集されている。
・1989年12月29日の大納会で、株価は3万8915円87銭をつけた。89年の東証平均一部の平均株価は1年間で29%上昇した。評論家の中には「株価は5万円を目指す」などと囃すものもいた。政治家も、官僚も、日銀マンも、メディアも、市井の人々も、つまりはほとんどの日本人が、この繁栄は、来年も、そしてそれからもずっと続くと思っていた。(同書338ページより)
・日銀の副総裁だった三重野は米国への怒りをこう表現した。「自分の国の要求を国際協調の名の下に押し付けて来ている」「米国は自分の利益を非常に大きく考えて、それを他国に要求するというきらいがあった。これはやっぱり苦々しいなという感じはずっと持っていました」(同書385ページより)
・バブルを振り返って「経済の過熱を抑えるために公定歩合を上げたかったが、物価が落ち着いていたのでできなかった」という弁明と、「デフレ脱却が最優先なので、いまは出口政策を語るのは時期尚早だ」という主張が相似形にならないという保証はない。(同書385ページより)
エピローグで軽部さんは、バブルの経験を生かし今後の国際社会でのわが国のあり方を論じています。ご指摘の通り、統治機構を変革していかねばならないという点は、重要な論点でしょう。また、米国と今後どう付き合っていくのかということも、わが国の大きな問題であることは間違いないと思います。ではどのようにという、次の段階を見通すための知見は、残念ながらわが国においては今後の課題ではないでしょうか。でも、バブルに多くの日本人が踊らされていた時期にも日本の学者の中には、日本賛美論に警鐘を発していた方がいたことも、わたしは知っています。まずは、このような先達の仕事をていねいに検討することが、今のわが国の閉塞状況を打開する契機につながっていくのではと考えました。
教育がバブルの教訓を生かすとすると、同調圧力に対して一定の距離を保ちさまざまな人々と交流しながら、自らじっくりちゃんと考えた後に断固行動できる人材を育成していくことが、今後のわが国の発展を左右するのではないかとも思いました。
本書はわが国に80年代後半に発生したバブルという経済現象がなぜ生じ崩れたのかという問題を、日銀の金融政策、大蔵省の銀行行政に焦点を当てて、「金融緩和の長期化がバブルの要因」、「米国の圧力」の二つのテーマを中心に検証している。検討されている資料は、情報公開法や独自の経路で入手された公文書、関係者の日記、手記、備忘録などである。また、米国の大統領図書館からも資料は収集されている。
・1989年12月29日の大納会で、株価は3万8915円87銭をつけた。89年の東証平均一部の平均株価は1年間で29%上昇した。評論家の中には「株価は5万円を目指す」などと囃すものもいた。政治家も、官僚も、日銀マンも、メディアも、市井の人々も、つまりはほとんどの日本人が、この繁栄は、来年も、そしてそれからもずっと続くと思っていた。(同書338ページより)
・日銀の副総裁だった三重野は米国への怒りをこう表現した。「自分の国の要求を国際協調の名の下に押し付けて来ている」「米国は自分の利益を非常に大きく考えて、それを他国に要求するというきらいがあった。これはやっぱり苦々しいなという感じはずっと持っていました」(同書385ページより)
・バブルを振り返って「経済の過熱を抑えるために公定歩合を上げたかったが、物価が落ち着いていたのでできなかった」という弁明と、「デフレ脱却が最優先なので、いまは出口政策を語るのは時期尚早だ」という主張が相似形にならないという保証はない。(同書385ページより)
エピローグで軽部さんは、バブルの経験を生かし今後の国際社会でのわが国のあり方を論じています。ご指摘の通り、統治機構を変革していかねばならないという点は、重要な論点でしょう。また、米国と今後どう付き合っていくのかということも、わが国の大きな問題であることは間違いないと思います。ではどのようにという、次の段階を見通すための知見は、残念ながらわが国においては今後の課題ではないでしょうか。でも、バブルに多くの日本人が踊らされていた時期にも日本の学者の中には、日本賛美論に警鐘を発していた方がいたことも、わたしは知っています。まずは、このような先達の仕事をていねいに検討することが、今のわが国の閉塞状況を打開する契機につながっていくのではと考えました。
教育がバブルの教訓を生かすとすると、同調圧力に対して一定の距離を保ちさまざまな人々と交流しながら、自らじっくりちゃんと考えた後に断固行動できる人材を育成していくことが、今後のわが国の発展を左右するのではないかとも思いました。
2015年10月25日(日)
ためになる本です !
『生き抜く力を身につける』 <中学生からの大学講義>5
桐光学園+ちくまプリマー新書編集部・編 筑摩書房 2015年
社会科学、人文科学、そして自然科学の第一級の研究者がいまの若い人のために書いています。これまでのわたしたち、そしていまはどういう時代か、さらには、これからはどうなるのかを考えるためのてがかりが詰まっている作品です。大人が読んでも面白いです。
大澤真幸 自由の条件
北田暁大 いま君たちは世界とどうつながっているか
多木浩二 キャプテン・クックの航跡
宮沢章夫 地図の魅力とその見方
阿形清和 イモリやプラナリアの逞しさに学ぶ
鵜飼哲 <若さの歴史>を考える
西谷修 私たちはどこにいるのか?―哲学入門
私も高校生のときはそうでしたが、「試験前に一週間だけ勉強する」という人が多いでしょう。そこそこの点数を取って大学には入れるけど、それだけでは世界に通用する人間にはなれません。将来いろいろな業種のプロになるために、今は自分を磨く時期で、そのための勉強なんだという視点を持ってください。
受験勉強のためでなく、自分を磨くために毎日少しずつ勉強する。「ああ、また今回も試験前にしか勉強しなかった。ヤバいな」と思うことを何度か繰り返すうちに、自然と机に向かって勉強するようになる。そういう自分を目指すことが大切です。
「阿形清和 イモリやプラナリアの逞しさに学ぶ」より
桐光学園+ちくまプリマー新書編集部・編 筑摩書房 2015年
社会科学、人文科学、そして自然科学の第一級の研究者がいまの若い人のために書いています。これまでのわたしたち、そしていまはどういう時代か、さらには、これからはどうなるのかを考えるためのてがかりが詰まっている作品です。大人が読んでも面白いです。
大澤真幸 自由の条件
北田暁大 いま君たちは世界とどうつながっているか
多木浩二 キャプテン・クックの航跡
宮沢章夫 地図の魅力とその見方
阿形清和 イモリやプラナリアの逞しさに学ぶ
鵜飼哲 <若さの歴史>を考える
西谷修 私たちはどこにいるのか?―哲学入門
私も高校生のときはそうでしたが、「試験前に一週間だけ勉強する」という人が多いでしょう。そこそこの点数を取って大学には入れるけど、それだけでは世界に通用する人間にはなれません。将来いろいろな業種のプロになるために、今は自分を磨く時期で、そのための勉強なんだという視点を持ってください。
受験勉強のためでなく、自分を磨くために毎日少しずつ勉強する。「ああ、また今回も試験前にしか勉強しなかった。ヤバいな」と思うことを何度か繰り返すうちに、自然と机に向かって勉強するようになる。そういう自分を目指すことが大切です。
「阿形清和 イモリやプラナリアの逞しさに学ぶ」より
2015年10月20日(火)
この本は強くお薦めします。
中井 久夫『戦争と平和 ある観察』人文書院 2015年
「時とともに若い時にも戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになる。長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する。その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしているが、戦争とはどのようなものか、そうして、どのようにして終結させるか、その得失は何であるかは考える能力も経験もなく、この欠落を自覚さえしなくなる。」p15
「平和は、なくなって初めてそのありがたみがわかる。短い祝祭期間が失望のうちに終わると、戦争は無際限に人命と労力と物資と財産を吸い込むブラックホールとなる。その持続期間と終結は次第に誰にもわからなくなり、ただ耐えて終わるのを待つのみになる。太平洋戦争の間ほど、平和な時代のささやかな幸せが語られたことはなかった。虎屋の羊羹が、家族の団欒が、通学路のタバコ店のメッチェン(少女)が、どれほど熱烈な話題となったことか。平和物語とは、実はこういうものである。過ぎ去って初めて珠玉のごときものとなるのは老いの繰り言と同じである。平和とは日常茶飯事が続くことである。」p22
「戦争が始まるぎりぎりの直前まで、すべての人間は「戦争」の外にあり、外から戦争を眺めている。この時、戦争は人ごとであり、床屋政談の種である。開戦とともに戦争はすべての人の地平線を覆う。その向こうは全く見えない。そして、地平線の内側では安全の保障は原理的に撤去されている。あるものは「執行猶予」だけである。人々は、とにかく戦争が終わるまでこの猶予が続き、自分に近しい人の生命と生活が無事なままに終わってほしいと念じる。それが最終的に裏切られるのは、爆撃・砲撃を経験し、さらに地上の交戦を経験した時である。それが戦争のほんとうの顔であるが、究極の経験者は死者しかいない。」p22~23
「時とともに若い時にも戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになる。長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する。その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしているが、戦争とはどのようなものか、そうして、どのようにして終結させるか、その得失は何であるかは考える能力も経験もなく、この欠落を自覚さえしなくなる。」p15
「平和は、なくなって初めてそのありがたみがわかる。短い祝祭期間が失望のうちに終わると、戦争は無際限に人命と労力と物資と財産を吸い込むブラックホールとなる。その持続期間と終結は次第に誰にもわからなくなり、ただ耐えて終わるのを待つのみになる。太平洋戦争の間ほど、平和な時代のささやかな幸せが語られたことはなかった。虎屋の羊羹が、家族の団欒が、通学路のタバコ店のメッチェン(少女)が、どれほど熱烈な話題となったことか。平和物語とは、実はこういうものである。過ぎ去って初めて珠玉のごときものとなるのは老いの繰り言と同じである。平和とは日常茶飯事が続くことである。」p22
「戦争が始まるぎりぎりの直前まで、すべての人間は「戦争」の外にあり、外から戦争を眺めている。この時、戦争は人ごとであり、床屋政談の種である。開戦とともに戦争はすべての人の地平線を覆う。その向こうは全く見えない。そして、地平線の内側では安全の保障は原理的に撤去されている。あるものは「執行猶予」だけである。人々は、とにかく戦争が終わるまでこの猶予が続き、自分に近しい人の生命と生活が無事なままに終わってほしいと念じる。それが最終的に裏切られるのは、爆撃・砲撃を経験し、さらに地上の交戦を経験した時である。それが戦争のほんとうの顔であるが、究極の経験者は死者しかいない。」p22~23