20161123(水)

日本人としての教養をつけるための1冊

佐藤 功『復刻新装版 憲法と君たち』時事通信社 2016年

 日本国憲法の制定作業を支えた憲法学者が後の日本の人々にむけて書いた著作です。日本国憲法制定にあたり当時の政治家や役人たちが、日本のために良い憲法を作ろうと大変な努力をしたのかがよくわかります。解説もまた素晴らしいです。木村草太さんが書いています。

 今の日本の憲法の中で、ほこってよいことは、まさにここにあるのだ。基本的人権とか、民主主義とかいうのは、これは今まで、日本がおくれていただけのことなのだ。それを今の憲法で、ほかの国に追いついたということなのだ。だけど、平和だけはちがう。戦争放棄の点だけはちがう。それはほかの国ぐににはまだしていないことなのだ。それを日本がやろうというわけだ。日本がおくれていたのではない。ほかの国が日本よりおくれているのだ。ほかの国が、その点では日本のまねをしなければならないことなのだ。それが今の憲法の中で一番わたしたちが、君たちが、世界に向かってほこってよいことじゃないだろうか。(同書134~135ページ)

 こんなふうでは、国民のあいだにあるいろいろな意見が、国会に正しくあらわれるということにはならず、それは形のうえでは民主主義にもとづいた議会政治のかっこうはしているけれども、じつはむかしの専制政治と同じことだということになる。そして、こんなぐあいで、いろいろな法律がつくられ、そのなかには憲法できめてあることに反するようなことや、憲法の規定には反していなくても、憲法の理想には反するような法律がつくられることにもなる。憲法が、こんなぐあいにしてやぶられることがあるわけだ。(同書158~159ページ)

 つまり、よい議員をえらぶということ、前に話したように、憲法をふみにじるようなことをしない議員をえらぶということ、正しい選挙をすることが、民主主義の政治を実現するするためにも、憲法を守るためにも、とてもだいじなことなのだ。(同書166ページ)

 「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る。」(同書182ページ)



20161120(日)

「夢」が学問的に検討されています

児美川 孝一郎 『夢があふれる 社会に 希望はあるか』KKベストセラーズ
世間では「夢」がもてはやされているけども、夢を持つことは、そんなにステキなことなのだろうかという問題意識を土台として下記の二点が本書で論じられている。第一に、「夢」というものの正体、第二に、「実像」としての夢に私たちはどう向かい合い、どう付き合っていけばよいのかである。

プロローグ
第1章 夢を実現している人は、どれだけいるか?
第2章 キャリア教育学は「夢追い人」をつくる?
コラム 諸外国では若者に「夢」をあおらないのか?
第3章 夢をどうとらえればよいか?
第4章 夢とどう向き合うか?
エピローグ
あとがき

・この日本社会において、夢を実現して生きている人は、割合として見れば、そんなには多くはない。
夢を実現できても、できなくても、夢を途中で変えても、それなりの幸せのかたちというものがありそうだ。だとすれば、「夢」を固定的で動かないもののようにとらえるのはやめておいたほうがよい。「夢」と「現実」が交差する地点で、どう振る舞うかが大事なのではないか。
・日本社会において、大人が子どもや若者に「夢」を押し売りするようになったのは、・・時代状況においてだ。(同書70ページ)
最初にそれを言い出したのは、政治家や財界の重鎮、そして企業の経営者たち。日本社会と経済の「閉塞」を打破するために、「若者たちよ、もっとしっかりせよ!」「夢を持て」「夢をあきらめるな」と。
実際、1990年代後半から2000年代にかけての時期は、高卒でも大卒でも、かつてこの国が経験したことのないような就職難が続いており、非正規雇用で働く若者の数も急増していた。また、新卒で就職できても、すぐに離職してしまう若者が、かなりの割合にのぼってもいた。
政治家や経営者たちが考えたのは、働く意欲が乏しい若者が増えてしまったから、就職難や非正規雇用の増大が起きているのだという、彼らにとって相当に都合のよい「解釈」だったと言ってよい。
だから、若者に「将来やりたいこと」や「就きたい職業」、端的に言って「夢」を持たせれば、それが働く意欲の回復につながる。そうすれば、就職難や非正規雇用の問題も解決に向かうと夢想したわけである。
しかし、冷静に考えれば誰にでもわかるように、若者の就職難や非正規雇用の拡大という問題は、第一義的には企業の側の採用行動の変化―あけすけに言ってしまえば、正社員の採用を絞って、不足分を非正規社員で補っていくという雇用戦略への変化―に端を発していたはずである。そこには、若者の意欲や能力の問題が絡んでいるとしても、それだけに責任転嫁できるものではない。
また、早期離職の問題も、競争が激しくなる中で、正社員の数が減らされている職場環境の厳しさという問題と、若者の側の問題が重なるところで生じているはずである。
その意味で、若者の耐性のなさや意欲の欠如に原因を求めるのは、明らかに一方的であり、的はずれな発想と言うほかない(詳しくは、児美川 孝一郎 『若者はなぜ「就職」できなくなったのか』日本図書センター2011年を参照してください)。

・夢との付き合い方
①夢が見つからない時
・興味・関心の範囲を広げる
・能力・資質を伸ばす
・職業・仕事にこだわるのをやめる
(・消去法で考える)
②夢をめざしている時
・夢の世界の現実を知る
・その夢をめざす根拠を掘り下げる(1、自分にとっての「夢」が出会い頭に近いような「恋」なのか、ずっと持ち続けている「憧れ」なのか、現実的な吟味を経たうえでの「志望」なのかをはっきりさせる。2、職業世界として見た場合の「夢(=就きたい職業ややりたい仕事)」の現実について、きちんと知っておく)
③夢が実現しそうにない時
・夢に関連する職業を調べる
・夢の根っこ(人が夢を持つ以上は、それが、一時的な憧れでしかない場合は別として、背景に自分にとっての大切な「何か」があるはず)を再確認する
・夢の達成を先延ばしにする
・プライベートで夢を追いかける

・「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」は、必ずしも相反することではないし、一つだけを選べというものではない。三つが重なるところはあるはずだ。どんな「やるべきこと」だって、自分がどうしてもやりたくないことは、普通はやらない。だから、世の中で今必要とされている「やるべきこと」の中で、同時に、自分の「やりたいこと」とも重なって、かつ自分の能力、適性という意味での「やれること」の範囲に入ることを見つける。そんな三つの円が交わるところで自分の「夢」を持てたら、その夢は、ずいぶんとしっかりしたものになるだろうし、実現の可能性も見込めるのではないか。
・現在の日本社会は、「夢」をあおる社会であり、夢を持つことを強要する雰囲気を持った社会である。「夢」や「やりたいこと」がない子どもや若者は、ひょっとしたら自分はダメ人間なんじゃないかと、強迫的に思わされてしまうような社会(夢を強迫する社会)でもある。キャリア教育のような営みをも含めて、若者が「夢を持つ」ことに過剰な価値を置き、それをあおり、称揚する社会である。児美川教授の理想は「等身大の、ありのままの自分が認められ、でも、少し背伸びすることを求め、励ます社会」である。

蛇足
学校世界から職業世界への移行過程においてこれだけのポイントがあることを明らかにしたことに対しまして児美川教授に深く敬意を表します。これらの研究成果はこれからの日本社会で人生を生きていく子ども・若者たちにとってきわめて有意義な知見であることは確実です。その一方で、これらの貴重な知識内容を子ども・若者にどう伝えていけばよいのか、伝えていかねばならないのかというもどかしさを感じました。大学生や院生はこの本を自ら読んで、どんどん進んでいけるような気がしますが、中学生、高校生がこれらの知見を彼ら/彼女らの人生に活かすには重要な他者が必要ではないでしょうか。その他者が身近にいるかいないかは社会階層に沿って形成されている可能性があります。あと、同書47ページの調査で、図7「夢の職業に就くことができたか」の問いに対して各年代の50代、40代、30代、20代の回答者の中で約10%の割合で「夢の職業に就くことができ、今も就いている」と回答していました。このような回答をした人たちはいったいどのような人たちなのかという疑問を持ちました。ちなみに私の小学6年生のときの「夢」はパイロットでした(笑)。

本書はこんごさらに不確実性が高まるであろう日本社会でこれから生きていく子ども・若者たちにとって確かな道しるべになる作品です。



20161025(火)

木村草太さん 『憲法という希望』

木村草太 『憲法という希望』 講談社現代新書 2016年
先日、木村さんの講演を聴く機会がありました。お話がすごくおもしろかったので、木村さんの憲法学について理解を深めたくて同書を読んでみました。憲法で、社会問題を分析して、その答えに到達する過程が、わたしのような法律の素人にもよくわかりやすい話し言葉で書かれているところが特に同書のすばらしい点です。第四章の長年NHK「クローズアップ現代」のキャスターとして活躍された国谷裕子さんと木村さんとの,家族、基地建設問題、日本の学校教育、改憲議論などについての対談が圧巻です。
私にとってこの本を読んでいちばんよかったことは、辺野古新基地建設は、閣議決定と日米間の合意を根拠とするのみで、具体的な根拠法がないということ、そして、そのことはたぶん今後の日本社会で市民が暮らしていくうえで重要な論点を孕むmatterであるということを「木村定跡」をもとに理解できた点です。同書の構成は下記の通りです。

はじめに
第一章 日本国憲法と立憲主義
第二章 人権条項を活かす
第三章 「地方自治」は誰のものか
第四章 対談 「憲法を使いこなす」には 
国谷裕子×木村草太
あとがき
【付録Ⅰ】日本国憲法(昭和二一年一一月三日公布、昭和二二年五月三日施行)
【付録Ⅱ】平成二十七年四月八日 参議院予算委員会会議録第一七号
(第十三部)(二一~二三ページ)
【付録Ⅲ】憲法について学ぶ文献リスト

皆さんに身につけてほしいのは、「政府のこの活動は何かおかしいのではないか」、「個人の権利が侵害されているのではないか」という勘を働かせる能力です。
そうした勘を身につけるには、自分らしく生きようとした時に感じる息苦しさに気づくことが重要です。日本人は我慢を美徳とするので、いやなことがあっても我慢し、仕方がないと考える傾向があるように思います。しかし、本当に我慢するべきことなのか、社会の側を変えるべきではないのか、と考えてみることは非常に大切です。
そうした疑問を持ちながら憲法の条文を読んでみると、「この条文は今の自分を応援してくれているのではないか」と感じる条文に出会えることがあります。あるいは、そうした疑問について学者や弁護士さんなどの専門家に相談すれば、よい解決策が見つかったりします。(p55~p56)

「法律構成」といわれる分野ですが、まったく同じ事件でも、法律の主張の仕方が変わるだけでまったく結論が変わるというのはよくあることなのですね。弁護士がプロフェッションとして頑張らないといけないのは、まさに法律構成です。
自分が少し主張の仕方を間違えてしまっただけで、依頼人の権利が実現できなくなってしまう。ですから、有能な弁護士に依頼することが重要なのです。(p125)

ですから、憲法が、国会で定めることを要求している「立法」とは何なのかを考えなければなりません。立法とは「法律事項」を決定する権限のことを言います。「法律事項」とは、法律によって決めなければいけない事項のことを言います。
では、法律によって決めなくてはならない事項とは何でしょうか。いろいろ専門家の間で議論がありましたが、現在では、「国政の重要事項」については、法律によって決めなければならない、と考えるのが一般的です。法学部的な議論に慣れていない方からすると、単なる言葉遊びのような感じを受けるかもしれませんが、「国会は唯一の立法機関です」という条文よりは、「国政の重要事項については、国会が法律で定めなければなりません」という説明のほうが、より具体的にイメージしやすくなっているのは、お感じいただけるのではないかと思います。(p89)

通常は、憲法学者が警告すれば、国民も権力者に対して警戒の目を向けますから、権力者はそうそう悪いことはできません。しかし、国民が憲法学者の警告を無視するようになれば、権力者は憲法に縛られずに、やりたい放題をする日が来るでしょう。
それを防ぐためには、イザという時に警告を発している憲法学者の発言内容をきちんと検証できるだけの力を国民が持っていなければなりません。常日頃、国家の暴走を恐れる必要はありませんが、憲法学者が警告を発した時には、「まあ、大丈夫だろう」と安易に思わずに、「本当に大丈夫か?」と周囲に目を光らせてほしいと思います。これが、憲法を守らせるのは究極的には国民だということの意味の一つです。(p112)



20161010(月)

10月9日木村草太さんの講演。

日曜日10月9日に木村草太さんの講演を聴いてきました。なんと入場料は無料でした。場所は音更町立緑南中学校です。このところ愛用している息子から譲り受けた自転車で会場に向かいました。途中、ぱらぱら雨が降りましたが、行きも帰りも快調でした。会場近くの道でおそらく緑南中学の生徒さんたちでしょうか、「こんにちは」と気持ちよい挨拶をしてくれました。すごくうれしい幸せな気分になりました。生徒さんたち、どうもありがとう。

講演の演題は「憲法をどう学び、どう使うか」です。よく整理されたレジュメと丁寧で分かりやすいお話により、すぐに第一級の憲法学の世界に引き込まれました。たいへん有意義な講演でした。
私が覚えている当日の内容を、いただきましたレジュメをもとにまとめてみました。

・立憲主義は、国家に①勝手に戦争をさせないため、②国民の人権を保障させるため、③国民を拷問させないようにするためのものである。

・憲法条文は国際法、法律と関係づけて解釈することが定石である。例えば、日本国憲法第九条第一項はパリ不戦条約(1928年)との関連から理解することなど。

【日本国憲法第九条】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

・安保法制の法的課題としては、①自衛隊法95条ノ2の武器等防護は、武力行使につながらないか?②在外邦人救出・住民警護・駆けつけ警護の中で、自衛隊員の安全をいかに守るのか?③弾薬提供・戦闘機給油は、武力行使の一体化ではないか?→A国が日本を攻撃、B国がA国に弾薬提供・給油の状況で、B国を攻撃できない?④存立危機事態条項は合憲か?⑤附帯決議・閣議決定の実効性をどう担保していくか?。(①~⑤レジュメより)私としても、特に④存立危機事態条項の内容を理解・実感できませんでした。

・辺野古訴訟については、国民は憲法を通じて、国家機関にどのような権限を与えているのか?(統治機構論)ということがその論点である。つまり、辺野古問題は、内閣だけで決定してよい問題なのだろうか?ということが問われている。辺野古移設の法的根拠は、憲法41条、同92条、同95条より不十分ではないか。

2010年5月28日 鳩山由紀夫内閣閣議決定
「日米両国政府は、普天間飛行場を早期に移設・返還するために、代替の施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置することとし、必要な作業を進めていく」。(レジュメより)
【日本国憲法】
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することはできない。

以下が、講演を拝聴しまして、私が思ったことです。
・世界の人々から、「なんだい。おまえさんたちは日本人だといばっていたくせに、あのすばらしい憲法を、満足に理解することも、使うこともできないじゃないか!」(アルフォンス=ドーデ風)といわれないようにしないといけない。そのために、まずは、司会者の方が述べられていたように、日本国憲法を読み込んでいかねばならない。

・日本国憲法は、人々が、基本的人権を尊重し合いながら、自らの人生を一人ひとりが主人公として平和に日本社会で暮らしていくための土台である。さらには、日本国憲法は人々がそれを不断の努力のもとで学びつづけるならば、これまでに人類が実現したことのない理想に現実を近づけるための力をわたしたちの精神に与えてくれるのではないか。

最後になりましたが、このたびの講演を主催されました北海道教職員組合十勝支部の皆様に敬意を表します。また、飛び入りなのに快く入場させていただきまして、講演会を開催するにあたってご尽力された皆様方に深く感謝し厚く御礼申し上げます。



2016915(木)

日本の現実

岡本達明 水俣病の民衆史[全六巻] 日本評論社 2015年
第一巻 前の時代 舞台としての三つの村と水俣湾
第二巻 奇病時代 1955-1958
第三巻 闘争時代(上) 1957-1969
第四巻 闘争時代(下)1968-1973
第五巻 補償金時代 1973-2003
第六巻 村の終わり

殺傷された人々の健康と命は戻らない。破壊された海も戻らない。被害者が補償金による償いを求めたことは当然だが、補償金はさらなる人間破壊をもたらした。事件は依然として進行中である。(第六巻278ページ)



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