2016915(木)

日本の現実

岡本達明 水俣病の民衆史[全六巻] 日本評論社 2015年
第一巻 前の時代 舞台としての三つの村と水俣湾
第二巻 奇病時代 1955-1958
第三巻 闘争時代(上) 1957-1969
第四巻 闘争時代(下)1968-1973
第五巻 補償金時代 1973-2003
第六巻 村の終わり

殺傷された人々の健康と命は戻らない。破壊された海も戻らない。被害者が補償金による償いを求めたことは当然だが、補償金はさらなる人間破壊をもたらした。事件は依然として進行中である。(第六巻278ページ)



2016823(火)

戦後史の名著です

正村公宏『戦後史』上下 筑摩書房1985年
1945年から1975年頃までの約30年を「戦後」と呼ぶべき時代と正村教授はみなしている。1945年夏、日本の主要都市は焼野原になりつつあった。そして、現在4年後に再び東京でオリンピックが開催されることとなっている平成の日本。先の30年はもはや過去である。この作品は先達の方方が歩まれた貴重な証しを現在の日本社会で暮らすわれわれがどう受け止めなくてはならないのかを考えるための名著である。なお、正村公宏教授は第一級の経済学者である。
同書は下記の通りに章立てされている。
戦後史 上
まえがき
第1章 敗戦と占領
第2章 戦後改革と民主主義 
第3章 インフレーションと労働運動
第4章 冷戦のなかの日本再建 
第5章 ドッジ・ラインと吉田内閣
第6章 朝鮮戦争・日本再軍備・平和条約
第7章 経済自立への道
第8章 産業合理化と労働運動
戦後史 下
第9章 戦後政治の再編成
第10章 日米安保条約の改定
第11章 高度経済成長の時代
第12章 社会的不均衡と環境破壊
第13章 世界のなかの日本
第14章 通貨危機と石油危機
第15章 転換の時代

すでに事実となった過去の歴史の意味は重く、しばしば不可避的な過程であったと思われがちである。しかし、こまかく見ると、多くの偶然的要因もあり、多数の主体の選択の累積と相互作用が歴史をつくりあげてきたことが理解される。戦争への過程でも、多くの人間の決断あるいは不決断が、具体的な歴史の様相を決定したのである。(同書 上4ページ)

核戦争の防止と軍縮の実現、環境保全と資源保護、人口の抑制と飢餓の防止といった深刻な全地球的規模の問題が存在するにもかかわらず、その解決のための有効な国際協力の展望は生まれていない。さまざまな方面から問題が投げかけられているが、国際政治の舞台での組織的行動はまだ弱い。二〇世紀の後半に経済面でいちおうの「成功」を収めた日本の国民にとって、二一世紀は、外側から与えられた状況にどう適応していくかではなくて、人間の立場から好ましいと考えられる状況を創造するためにどう行動していくかをますます強く求められる時代になるだろう。(同書 下495ページ)

蛇足
それにしても、日銀が直接に公債を引き受けるというのは、軍事費の調達や戦後復興を理由として過去に行われたそうです。中央銀行がこのような金融政策を取らなければならないほど今の日本の経済状況が深刻なのかとすごく心配になりました。



2016710(日)

ガチで、すげー本です。

アンソニー・B・アトキンソン
『21世紀の不平等』東洋経済新報社2015年
この本の序文をトマ・ピケティが書いています。『21世紀の資本』の著者です。彼は格差の原因をr>g(資本収益率>経済成長率)というたった一つの式であらわしました。経済のグローバル化が進んで貧困化や格差はしょうがないんじゃないかと思ってしまっている人にこそ有益な本です。

・この絶望論に対して言いたいことは三つある。一つは過去に不平等の削減が起きたときの根底にある原因の一つ(唯一ではない)は政府の介入が成功したからなのだ、ということだ。こうした介入としては、第二次世界大戦後の数十年で作られた社会プログラム、報酬均等法制、教育の拡張、累進資本税や累進所得税の運用がある。こうした手法は完璧ではないが、間違いなく効果があった。二つ目の言い分は、政府プログラムが失敗する理由として重要なのは、事前の計画や相談がなかったことだ、というものだ。詳細な提案を示して公的な議論を行い、地ならしをしなくてはならない。私は現状の政策を理解するにあたり制度的な細部の重要性を強調してきた。同じように、本書で述べたアイデアも法制や施策の具体的な提案に翻訳しなくてはならない。この過程は間違いなく、制度や施策の形式も中身も改善する。(360ページ)
・そして最後に言いたいのは、本書の唯一の対象読者が政府だなどといっていないし、またそんなことを思ってもいない、ということだ。ここで述べた提案を実施するかどうか、このアイデアが実施されるかを最終的に決めるのは個人なのだ。その個人たちは、有権者として間接的にその決断を下すかもしれず、あるいは・・・今日ではこちらのほうが重要かもしれないが・・・キャンペーングループやソーシャルメディアを通じたロビイストとして、有料のプロのロビイストたちに対抗する力として動くことでその決断を行うかもしれない。選出代議士に電子メールでメッセージを送るだけでも違いは生まれるのだ。だがそれ以外に、個人は消費者、貯蓄者、投資家、労働者、雇い主としての自分自身の行動を通じ、社会での不平等の度合いを直接的に左右できる。これが最も明白なのは個人の慈善活動の面だ。そこでのリソース移転は、それ自身が重要であるだけでなく、政府に何をしてほしいかという強力なメッセージを提供するという点でも価値が高い。でも政府の場合で強調したように、移転は話の一部でしかない。消費者は生活賃金を支払う業者やフェアトレードによる製品を提供する業者から買い物をすることで状況を変えられる。個人は、個別に活動するにせよ集団で活動するにせよ、地元の商店や企業を使うことで状況を変えられる。貯蓄者は、株主所有の銀行がどういう給与方針を持っているか尋ねてみよう。自分の資金を相互組織に移そう。賃金の場合で強調したように、市場の力は結果の範囲を制約することもあるが、公正や社会正義の感覚といった他の配慮が作用する余地も残してくれるのだ。人は個人的な生活でのみならず経済生活においても多くの倫理的決断を下すし、それらが合わされことで、私たちの決断は不平等の度合いを減らすのに貢献できる。それがどのように実現できるのかを読者が理解する一助に本書がなったことを祈りたい。(361ページ)



2016529(日)

経営学と経済学は違います

高橋 伸夫 『経営学で考える』有斐閣 2015年
 同じ現象に対して、同じようなモデルを使っている場合でも、経営学者と経済学者ではまったくアプローチが違うように見える。一体どこが違うのだろうかという経済学の大先生の質問を高橋教授が20年間考えつづけながら、企業における人々の分業にもとづく協業行動を研究してきた成果である。

本書は下記の通りに章立されている。
第1章 プロローグ 経営学で考えると
第2章 成功した理由
第3章 じり貧になる理由
第4章 意思決定の理由
第5章 協調する理由
第6章 働く理由
第7章 社会人のためのエピローグ 仕事の報酬は次の仕事
参考文献
あとがき
索引

・あえてそのリスクを冒したのは、経営の世界では、これまでの誤りや失敗をきちんとみとめないままに、次から次へと新しいモデルに乗り換え、責任をうやむやにされてきた歴史があるからである。私の知る限り成果主義的な安易な人件費カット策は、不況の度に登場してきた。そのときそのときに、きちっと間違いをみとめておかないから、十年も経つとまた同じ過ちを繰り返す。(同書より)
・実際、「能率の基準」を現場で適用し、コストだとか成果の客観的な評価だとかにこだわればこだわるほど、副作用と障害がすぐ発生する。たとえば、次のような光景は、21世紀初頭、成果主義(詳しくは第7章を参照のこと)を導入した日本企業ではどこでも日常的に観察された出来事だった。(同書より)
①毎年査定をすると明言されれば、誰だって、1年以内に「成果」の出せるような仕事ばかりをやるようになる。長期的視野にたった仕事やチャレンジングなテーマには誰も挑戦しなくなる。それどころか、年度初めの評価事項に書かれていなかったような新しい仕事やビジネス・チャンスが年度途中に転がりこんできても、誰も挑戦しなくなってしまうのだ。
②各人に目標を立てさせて、その達成度を見るなどと書けば、低めの目標を掲げるのが賢い人間というものだろう。高めの目標を掲げるのは馬鹿である。
③客観指標、たとえば成約件数を基準に挙げれば、それだけをピンポイントで狙って件数を稼ごうとして採算度外視で契約をとってくる愚か者が必ず出てくる。
④会社にとってクレーム処理は、それぞれの会社の評判が決まってしまうほど重要な仕事だが、部署間の「三遊間ゴロ」的なクレームをもう誰も拾わなくなる。野球でいえば、見送れば「ヒット」と記録されるのに、わざわざ手を出して、自分の「エラー」として記録してもらう馬鹿はいない。
⑤いくら客観指標を使ったって、目標の設定に客観的根拠がなければ、その目標値を使った評価が客観評価であるわけがない。(①~⑤同書より)

  このところ、わが国の経済の個人消費の動向にいまひとつ元気がありません。もしかしたら、それぞれの職場で働いていて、現在より未来がよくなるという実感を持つことができないでいる人々が多いからかもしれません。一人一人の日本で暮らす人々が、まずは仕事で小さな成功体験を積み重ねる中で将来展望を持てるようになることが重要な一歩になると考えました。このようなことを考えるためには最良のテキストであると思いました。

蛇足
 学卒時から非正規雇用で就業し、職業スキルを習得したり十分な収入を得られない若者たちが少なからずいるわが国の現実を経営学者である高橋教授はどのように考えるのかを聞いてみたいと思いました。女性が働きやすい職場にしていくということ、また、ダイバーシティ・マネジメントなどの日本企業の課題が論じられていない点が少し残念でした。



2016512(木)

中谷巌『資本主義はなぜ自壊したのか』集英社インターナショナル2009年

本書のタイトル『資本主義はなぜ自壊したのか』は「過去形」の表現になっているが、もちろん、資本主義が全面的に自壊してしまったわけではない。しかし、自由を満喫したグローバル資本が世界経済を不安定化させ、所得格差拡大で不幸な人々を大量に生産し、また、地球環境をもはや修復不可能に近いところまで汚染してしまったという意味で、資本主義の自壊作用はすでに始まっているというべきなのである。
上記が中谷巌氏(以下、中谷氏)の基本認識である。なお、グローバル資本主義とは行き過ぎたアメリカ型金融資本主義のことである。
・この2,30年間を振り返ってみれば、金融危機は世界のあちこちで何度も表面化した。むしろ、危機は常態化していたとさえ言える。主要国はそのつど、G7(先進七カ国首脳会議)などで世界経済の安定化について話しあってきたが、それはまったくといってよいほど効果が上がっていない。2008年9月15日、サブプライムで驚愕の損失を出したアメリカ系証券会社リーマン・ブラザースの経営破綻後、世界経済は大混乱に陥った。(同書より)
・わが国を例にとるとすごい実態がある。それはOECD(2008年)が発表したデータである。貧困率とはそれぞれの国の勤労者のなかで、中位所得者が稼いでいる所得の半分以下の所得しか稼いでいない貧困者が全勤労者に占める比率。1985年日本の貧困率は(再配分前)12.5%であったのが2005年には26.9%にまで跳ね上がっている。さらに、ショッキングなのは、「シングル」世帯に限るとアメリカを抜いて世界のなかで最も高い貧困率になっている。子どものいない単身者世帯における貧困率は40%弱、子どもがいる単身者、つまりはシングル・マザーやシングル・ファーザー世帯の貧困率に至ってはほとんど60%にも達している。「安心して子どもが産める」社会にしないと少子化は克服できそうにもないのに、「安心して子どもが産める」社会からほど遠いのが日本の現実なのである。(同書より)
・グローバル資本主義は、世界経済を活性化し、先進国のみならず、中国などの新興工業国の発展、ひいては名もない途上国の経済発展にも大きな刺激を与えたことは疑う余地がない。また、さまざまなところに眠っていた資源(労働、資本、土地など)を市場取引の場に引きずり出し、その効率的な利用で経済成長を促した。(同書より)
・マーケットが作り出す人々の精神構造の変化や社会の変質などにもっと注意を払うことによって、「マーケットをうまく使いこなす」という心構えが必要なのだ。そういうことを考えないで軽々しく「改革」を叫ぶのはもうそろそろ卒業してもよいのではないか。(同書より)

中谷氏の「国家と個人との間に、さまざまな形での中間的な共同体、中間的な組織を作りだして、そこに人々が参加できるようにすること」をさらに追究していくことが大切になるとブログ筆者は考えました。そのためには、商工会、農協、労働組合、生協、学校を中心としたつながり、地域の人々の趣味によるつながりなどを排他的ではない、因習的ではない、より公正的なつながりに再構築していく努力が第一歩になるとも考えました。同書で今後ふつうの女性の活躍が重要になるというという点が論じられていないことが残念でした。



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