2011年1月5日(水)
やっと冬らしく
2010年12月19日(日)
雪です、トマムです、全国の味です。
きのうは大雪、今日は快晴。
というわけでトマムまで二時間のドライブ。
トマムリゾートのタワーを見てきました。
帰りに山菜の村トマムの味をと思ったら、山菜が品切れ・・・・
普通にうどんとスパゲティーを食べてきました。
帰りにはいつもの買出し。
正月休みまであと少し。
ボラバイトの皆さんも大活躍中、ちょっと寂しくなりますが、雪が大好きの台湾、韓国、鳥取のボラバイトと長崎のバイトの4人が大活躍の秋でした。
来年はどんな方が来るか楽しみです。
ジャガイモが不作だったので来年の仕事はいつまで続くか、ボラバイトの募集はどうしようか。
故障した選別機は直るのかなどなど不安もありますが、
倉庫の山のようなジャガイモ相手に奮闘はつづきます。
親戚や友達に送ったジャガイモがみかんや柿、お茶。
レンコンやサトイモ(書ききれません)にかわり届きました。西日本に親戚の多い私にはどれも待ち遠しい味です。
春から初夏にはたけのこやブドウも届きました。
岩国には高齢の方も多いのでご迷惑かなと思いつつ、毎年楽しみです。
そういえば今年のボラバイトに鳥取県の方がいました。
鳥取市とか湖山町の大井さんって知らないかなあ。
すごく遠い親戚かも・・・・・聞いてみようっと。
というわけでトマムまで二時間のドライブ。
トマムリゾートのタワーを見てきました。
帰りに山菜の村トマムの味をと思ったら、山菜が品切れ・・・・
普通にうどんとスパゲティーを食べてきました。
帰りにはいつもの買出し。
正月休みまであと少し。
ボラバイトの皆さんも大活躍中、ちょっと寂しくなりますが、雪が大好きの台湾、韓国、鳥取のボラバイトと長崎のバイトの4人が大活躍の秋でした。
来年はどんな方が来るか楽しみです。
ジャガイモが不作だったので来年の仕事はいつまで続くか、ボラバイトの募集はどうしようか。
故障した選別機は直るのかなどなど不安もありますが、
倉庫の山のようなジャガイモ相手に奮闘はつづきます。
親戚や友達に送ったジャガイモがみかんや柿、お茶。
レンコンやサトイモ(書ききれません)にかわり届きました。西日本に親戚の多い私にはどれも待ち遠しい味です。
春から初夏にはたけのこやブドウも届きました。
岩国には高齢の方も多いのでご迷惑かなと思いつつ、毎年楽しみです。
そういえば今年のボラバイトに鳥取県の方がいました。
鳥取市とか湖山町の大井さんって知らないかなあ。
すごく遠い親戚かも・・・・・聞いてみようっと。
2010年12月8日(水)
暑い夏から暖かい冬?&浦幌がテレビに!
朝、氷は張っているけど、-1度か-2度。
こんなに暖かくていいのだろうか。
30度超えの夏、間隔が近く大雨の連続。
急激な高温に泣かされた一年でした。
11月に入ってからは雨続き。
牧草は予定の20%も刈り残してしまいました。
来春に敷き藁用に刈るかな。
先月末、大学の吹奏楽団の定演に行ってきました。
若者の中にオジサン一人。
楽しいひと時でした。
写真がでかすぎて表示できませんでした・・・・
ちなみに、スバルフォレスターのCM。
向井 理さんが秘密基地から出てるやつです。
最後に海岸をバックにするシーン、あれ浦幌です。
十勝太と昆布刈石の中間あたりかな。
こんなに暖かくていいのだろうか。
30度超えの夏、間隔が近く大雨の連続。
急激な高温に泣かされた一年でした。
11月に入ってからは雨続き。
牧草は予定の20%も刈り残してしまいました。
来春に敷き藁用に刈るかな。
先月末、大学の吹奏楽団の定演に行ってきました。
若者の中にオジサン一人。
楽しいひと時でした。
写真がでかすぎて表示できませんでした・・・・
ちなみに、スバルフォレスターのCM。
向井 理さんが秘密基地から出てるやつです。
最後に海岸をバックにするシーン、あれ浦幌です。
十勝太と昆布刈石の中間あたりかな。
2010年11月7日(日)
99年の愛
TBS、「99年の愛」みました。
442部隊もマンザナー収容所も知ってはいましたが、改めて日系人の苦労を知りました。
遠い親戚がサンフランシスコの近くのPetarumaという町にいます。学生時代に一ヶ月滞在しました。
当時60代だったおばあさんは家族でマンザナー収容所に入れられたそうです。でも重たい一言は今のもよく覚えています。
「収容所に入れられたおかげで生きていられた」
そう、もし収容所に入らなければ、銃社会のアメリカでは生きて終戦を迎えられなかったかもしれないのです。
いまではお孫さんたちが家庭を持ち楽しい暮らしをしています。
Googleで見ると当時建築中だった住宅も周りは大きな木が育ち、広い芝生のなかに映画のワンシーンのような景色です(まあ、上から覗いたんですがね)。ああ、もう一度会いたいなあ、同い年の男の子がいたけど、オジサンになってるんだろうなあ・・・・・・
私のルーツは山口県岩国市、海外移住の多い県です。
祖父の代まで遡るとハワイにも二人移住、私の祖父はペルーに移住しました。父は戦前に一人帰国し祖父がなくなるまでに会うことはできませんでした。戦争を体験した世代には不幸な生涯を送った方が多いんでしょうね。
今日のドラマも父の話にも共通するのは、その瞬間瞬間に青春を感じることです。苦労はあっても夢と希望があったんですね。
442部隊もマンザナー収容所も知ってはいましたが、改めて日系人の苦労を知りました。
遠い親戚がサンフランシスコの近くのPetarumaという町にいます。学生時代に一ヶ月滞在しました。
当時60代だったおばあさんは家族でマンザナー収容所に入れられたそうです。でも重たい一言は今のもよく覚えています。
「収容所に入れられたおかげで生きていられた」
そう、もし収容所に入らなければ、銃社会のアメリカでは生きて終戦を迎えられなかったかもしれないのです。
いまではお孫さんたちが家庭を持ち楽しい暮らしをしています。
Googleで見ると当時建築中だった住宅も周りは大きな木が育ち、広い芝生のなかに映画のワンシーンのような景色です(まあ、上から覗いたんですがね)。ああ、もう一度会いたいなあ、同い年の男の子がいたけど、オジサンになってるんだろうなあ・・・・・・
私のルーツは山口県岩国市、海外移住の多い県です。
祖父の代まで遡るとハワイにも二人移住、私の祖父はペルーに移住しました。父は戦前に一人帰国し祖父がなくなるまでに会うことはできませんでした。戦争を体験した世代には不幸な生涯を送った方が多いんでしょうね。
今日のドラマも父の話にも共通するのは、その瞬間瞬間に青春を感じることです。苦労はあっても夢と希望があったんですね。