カンボジアにいらっしゃいませんか。
アンコールワットと地雷、内戦くらいの認識しかない方がほとんどかもしれません。
ベトナム戦争の影響を大きく受け、75年のベトナム戦勝終結後はのちに世界的なニュースにもなった大虐殺の内戦と化しました。
79年1月、プノンペン陥落。ポルポト軍はプノンペンを撤退しましたが、その後10年間内戦は続きます。
93年普通選挙実施に伴うインフラ整備に国連の明石代表率いるUNTACが道路などのインフラ整備に投入され、初の普通選挙が実施される。
以後、ベトナム、中国に影響されながらも発展を遂げ人口1500万人に成長するも、農業以外に特筆する産業はない。
縫製、単純組み立て工場などがあるだけで、工業力はタイやベトナムに遠く及ばない。
基本的に民主国家であり、職業や学問の自由は尊重されている。多少の制約はあるが、政治や報道にも大きな制約はない。法的整備が遅れているので、政治や役所には賄賂が付きまとう。
内戦収束に貢献した世代が現役の官僚や政治家に現役として在籍しているので、政治や法律の運用が世界レベルには程遠く、戦後世代の40代が表舞台に登場する10年後が楽しみにな国でもある。
在留邦人3.000人。タイの10分の1。日本食店は主要な店が数十店舗を数え、世界の食事も堪能できる国でもある。
日本的な暮らしをしようとすると、日本との生活費はあまり変わらない、かといってエアコンなし、ローカル食ですべてが満足する日本人はほぼ皆無であろうと思われる。
街は普通に歩けるが、夜間は強盗、ひったくりがいるので独り歩きは禁物。銃の所持は禁止だが相当数が出回っているので強盗にあったら素直に財布等を渡すのが賢明。
政治的には一応安定している。武装勢力やゲリラは確認されていない。
元はフランスの植民地であり、生産物の多くがヨーロッパに輸出されていたことを考えると、ビジネスチャンスは大いにあるが流通インフラが脆弱なので、しっかりとした調査が必要である。
視線を世界に向けて眺めるといろんなことが見えてくる、まずは熱気と混とんとした街を体験することが第一歩である。
ベトナム戦争の影響を大きく受け、75年のベトナム戦勝終結後はのちに世界的なニュースにもなった大虐殺の内戦と化しました。
79年1月、プノンペン陥落。ポルポト軍はプノンペンを撤退しましたが、その後10年間内戦は続きます。
93年普通選挙実施に伴うインフラ整備に国連の明石代表率いるUNTACが道路などのインフラ整備に投入され、初の普通選挙が実施される。
以後、ベトナム、中国に影響されながらも発展を遂げ人口1500万人に成長するも、農業以外に特筆する産業はない。
縫製、単純組み立て工場などがあるだけで、工業力はタイやベトナムに遠く及ばない。
基本的に民主国家であり、職業や学問の自由は尊重されている。多少の制約はあるが、政治や報道にも大きな制約はない。法的整備が遅れているので、政治や役所には賄賂が付きまとう。
内戦収束に貢献した世代が現役の官僚や政治家に現役として在籍しているので、政治や法律の運用が世界レベルには程遠く、戦後世代の40代が表舞台に登場する10年後が楽しみにな国でもある。
在留邦人3.000人。タイの10分の1。日本食店は主要な店が数十店舗を数え、世界の食事も堪能できる国でもある。
日本的な暮らしをしようとすると、日本との生活費はあまり変わらない、かといってエアコンなし、ローカル食ですべてが満足する日本人はほぼ皆無であろうと思われる。
街は普通に歩けるが、夜間は強盗、ひったくりがいるので独り歩きは禁物。銃の所持は禁止だが相当数が出回っているので強盗にあったら素直に財布等を渡すのが賢明。
政治的には一応安定している。武装勢力やゲリラは確認されていない。
元はフランスの植民地であり、生産物の多くがヨーロッパに輸出されていたことを考えると、ビジネスチャンスは大いにあるが流通インフラが脆弱なので、しっかりとした調査が必要である。
視線を世界に向けて眺めるといろんなことが見えてくる、まずは熱気と混とんとした街を体験することが第一歩である。